9月23日は「手話言語の国際デー」です。
2017年12月19日に国連総会で決議されて決まった国際デーです。この9月23日は1951年に世界ろう連盟(WFD)が設立された日です。
この日は世界各地で青色のライトアップが行われます。ライトアップによって、世界のろう者たちとの連携を図り、人権及び平等な社会の実現や「手話が言語である」ことへの認知を広めるとのことです。
敦賀市では敦賀ムゼウムで23日19時~21時にライトアップ。世界のろう者たちとの連携を図り、人権及び平等な社会の実現や「手話が言語である」ことへの認知を広めます。
(市庁舎やオルパーク、アクアトム、リラポートもライトアップには良いところだし、そういうところでもライトアップできると、他の啓発活動にもいいと思う。啓発活動なので、できるだけ多くの人に見てもらって「なんでライトアップしてるの?」と思ってもらうことが大事。)
(2022/9/23)
さて、「手話が言語」と聞いてどう思われるでしょうか?「当たり前だ」とか「どういう意味?」とかいろんな反応が有ると思います。
ここからは私の話。
最初に「敦賀市でも『手話言語条例』を制定しよう」という話を聞いたとき、正直よく分からなかった。コミュニケーションの手段を強化、充実させるなら「コミュニケーション条例」でもいいのではないか、と思っていた(関係者のみなさんには初告白です。懺悔です)。コミュニケーション条例だと手話を言語と明示せず、手段のひとつとして手話も含めて充実させようという条例になるケースも有るんですが、それでもいいのではないかと考えていました。
いくつか思っていたことがあって、
・「手話」は聴覚障がい者とのコミュニケーションの「手段」の一つに過ぎないし、他にも筆談とかコミュニケーションボードとかあるんじゃないか。
・「手話言語条例」を制定したら、手話通訳者の配置など、行政にも民間にも高いハードルができて、現実的に対応できないのではないか。
・そもそも「手話」が言語であるという意味が、心の底から分かっていなかった。
だから、私は「コミュニケーション条例ではダメなんですか?」といろんな人に聞いた。聴覚障がい者、ろう者にも個人的にも手話言語条例のセミナーや講演会みたいなところでも聞きました。
聞かれた人たちは、それぞれ私に「手話は言語ですよ」「コミュニケーション条例を作ってほしいわけではないんです」ということを熱心に説明してくれたんですが、私には本当の意味で腹落ちしなかった。
その頃、私は手話を勉強しはじめていました。誘ってくださる方がいて、誘われるがまま敦賀市の手話奉仕員養成講座を受講するようになっていました。
手話は勉強していますし、聴覚障がい者の人ともコミュニケーションをとる機会もありますし、「手話が何で言語なの?」という話も直接しますし、という環境なのに、「手話が言語」ということ、そして聴覚障がい者やろう者が「手話言語条例」を制定することをすごく大事に考えていること・・・、が手話を勉強してから1年経っても本当には分からなかった(本当にごめんなさい。あの頃は言えませんでした。)。
しかし、転機は前触れもなく突然やってくるのである。
ある日、京都駅の八条口側にあるイオンモールで買い物をしていた時のことです。今でもはっきり覚えている。多分、一生忘れない。
下りのエスカレーターに乗っているとき、何段か前に同じエスカレーターに乗っている高校生か大学生くらいの男女のカップルがいました。で、そのふたりが会話しているのに気がついたんです。
そう、会話を手話で。
その時、私に天の声が。
「手話は言語だ」
一年かかっても分からなかったこと、ろう者の先生に手話を教わっていてもどうしても分からなかったことが、超日常の何気ないタイミングでストンっと心から理解できたのです。
「絶対、言語やん」
このとき私に起きた大変化はうまく説明できない。ごめんなさい。でも、手話で気持ちや考えを伝えている人にとっては、手話は言語なのだ。日本語や英語を話す人にとって、それらが言語であるように。
それからは、「手話言語条例」の制定に少しでも力になれたら、と心から思えるようになりました。議員でもないのでほとんど何もできなかったですけど。
それでも「敦賀市手話言語条例」が制定されるまで、いろんな人と相談したりして、少しだけはお役に立てたかもしれません。そう思っていただいたのか、議場で手話言語条例制定が成立した後の記念撮影に、固辞したけど誰かに引っ張られるか押されて入れてもらった。
(全日本ろうあ連盟のホームページより)
ただ私は手話言語条例が制定されて「めでたし、めでたし」とは思っていません。
条例制定はゴールではなくスタートラインです。
条例には、「市の責務」として「市は、・・・手話に対する理解の促進を図り、手話を使用しやすい環境を整備するための施策を総合的かつ計画的に推進するものとする」とあります。
具体的に何をやっていくか。
教育、職場、行政で言語としての手話をどう取り入れて、普及していくか。これからの方がよっぽど大事です。
それから、私の感度が鈍かっただけかもしれませんが、私の経験上、「手話が言語だ」と実感をもって理解することは案外難しいことです。
これを読んでいただいている方も、「手話は言語だ」と言われても、ピンと来ないかもしれません。でも、これを読んで気に留めていただけるだけでもいいです。私のように、いつか急に分かる時が来るかもしれませんし、来なくても少しでも意識するだけで全然違うと思います。
私も手話を学びはじめて4年目。なかなか上達していませんが、続けていきます。
では。
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