敦賀市議会の一般質問をテレビ観戦しながらブログを書いています。
特に一般質問1日目、2日目を見た感想なのですが・・・、なんか質問と答弁が噛み合わないと感じたのは私だけ?
事前に用意した答弁原稿が有って、本番の議会の場で「議員の質問の意図と用意した答弁原稿がズレてる」となっても、そのまま原稿を読んでしまっている。その結果、観戦者(=有権者、納税者)としてはストレスが溜まるやりとりが多い。
噛み合った議論から、一段上にステップアップした結論が見えてくる、というような場面を見てみたいと思います。
さて、、、
ところで、そもそも「議会」って何なんでしょうか???
私たち現代の日本人にとっては、「議会」は初めから当たり前のように存在しているものです。
しかし、、、近代議会が成立する歴史を見ると、その起源は闘いのなかで勝ち取ったものであり、また、時には議会自体を奪われてしまったケースも有ったりして、決して「当たり前」のものではありません。
もともと「議会」はどうして生まれたのでしょうか?
【イギリスとかフランスとか】
イギリスやフランスを例にシンプルに言うと・・・、
①王様が戦争をしたくなる。もしくは王宮や城を造営したくなる。王様によっては贅沢もしたい。だけど、お金が足りない。
②王様が納税者(貴族や商工業者など)への税金を増やそうとする(新規課税や増税)。
③王様に勝手に増税されると困る貴族や商工業者が、王様に「勝手に決めるな。代表者で集まって相談させろ。その承認なしで増税は認めないぞ」と要求して議会を開かせる。
というのが、大まかな流れです。
時には貴族が王様を捕虜にして、無理やり議会を開かせたり、ということも有りました。逆に、王様が議会を開いた後、国王軍で貴族らをやっつけて、また議会を開くのを止めたりとか。議会を開かせるのも命がけです。
絶対王政の時代には「王権神授説(王権は神から賦与されたもの、王様は神以外には拘束されない=人民のいうことは聞かなくてよい)」に基づいて、議会が開かれなくなります。王様が、既に存在していた議会を「解散」して、その後「招集」しなかったのです。今の日本の国会でも使われる「解散」とか「招集」という言葉の起源はここから来ているんだと再認識できます。日本の市議会でも招集するのは、議長でなくて市長なのもここら辺が起源(国会の召集、解散も議長でなくて天皇の国事行為)。
イギリスやフランスの絶対王政は、ご存じのとおり、清教徒革命やら名誉革命やらフランス革命を経て、議会制度も確固としたものになり、議会は「課税承認権」と「立法権」を獲得する、ということになります。
ここまで見ても、「議会」が成立するまでに、どれだけの戦闘と流血があったことか。
【アメリカ合衆国独立】
アメリカの歴史も見てみましょう。
アメリカ合衆国が独立する前、北米大陸でイギリスとフランスが植民地の取り合いをして争い、イギリスvsフランスで戦争が起きます(フレンチ・インディアン戦争、1754~1763年)。この戦争はイギリスが勝つのですが、例によって戦費(戦時国債の償還)にあてるために、イギリス議会はアメリカ植民地で増税することを決めます。それに対し、アメリカ植民地は怒ります。アメリカ植民地人はイギリス議会に投票権のある議員を送り込んでいないのに、勝手に増税を決められたことに大反発します。
この時のスローガンが「代表なくして課税なし」。
また、イギリス本国が勝手に法律を作ることにも、代表を送っていない植民地人は大きく反発していました。
イギリスとの戦争の後、アメリカは独立を果たします。有名なアメリカ独立宣言の半分くらいは、実はイギリス国王に対する批判の文章なのですが、中身は議会のこと、立法のこと、課税のことがほとんどです(独立宣言は格調高いものだと思われがちですが、半分はイギリスへの悪口(!)です)。
ということで、イギリスでもフランスでもアメリカでもパターンが似ていますよね。
戦争などでの出費→増税→納税者の反発→闘って議会を開催させる
歴史的に日本人には実感が湧かないところですが、こういうところに「議会」の本質があると思います。
【「代表なくして課税なし」】
もとに戻って敦賀市議会です。
「代表なくして課税なし」が議会の原点だと思いつつ議会中継を見ていますと、答弁する市側に「議会に理解してもらおう」という姿勢をもう少し見せて欲しいと感じます。そうすれば、もっと噛み合ったやりとり、前向きな議論ができるのではないでしょうか。
また、わたしたち市民も議会の成立史に思いを馳せ、自分たち納税者が議会に代表を送ることの意味を考えてみることも大事だと思います。
では、また!
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