自己紹介その3です。
2年間のアメリカでの生活を終え、2000年に帰国しました。妻と二人で過ごしたアメリカでの生活は本当に楽しく充実したものでした。
さて、帰国後再び積水化学の研究所に戻り、新しい開発テーマを始めました。この開発テーマのメンバーは、初め私一人だったのですが、少しずつ人数が増え開発チームになり、しばらく経つと20名弱の人員を抱える開発グループに発展しました。私はこの開発テーマのテーマリーダーとして多忙な日々を送ることになりました。アメリカの超超有名企業(←誰でも知っている企業、でも契約を結んでいること自体秘密にするという契約でした)と研究開発契約を結び、2週間に一度の国際電話会議を行い、他にも国内メーカーへの出張や電話会議。
朝早く出て夜遅く帰る仕事生活のせいで、生まれたばかりの娘と過ごす時間もほとんどなく、おかげで娘は私に全くなつくことなく育ってしまいました。娘が4歳くらいまでは15分以上私と二人きりでいると、お母さんを探して泣きわめくという悲しいお父さんでした。
仕事は忙しいながらも、また紆余曲折を経ながらも少しずつ拡大していき、社内的にも大きなプロジェクトに発展しました。同時に、この開発のプランを社の上層部と相談する立場にあった私は、このプロジェクトが順調に進捗すれば、いずれ大阪の研究所では手狭になり、導入を予定している生産設備が入らないことが分かっていました。検討の結果、生産設備導入場所は茨城県つくば市の研究所に決まりました。つまり、プロジェクトが上手くいけば、私はつくばに行くことになるのです。
果たして、プロジェクトはほぼ計画どおり進捗し、つくばの研究所に大型生産機を導入することになりました。当然開発プロジェクトチーム員もつくばに引っ越しです。
(つづく)
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