先日小5の息子が「杉原千畝」の伝記を借りてきました。
親子で読書、という宿題だったので私も読んでみました(無理矢理、読まされた!)。
そして、この伝記を読みながら、昔読んだいくつかの本や映画のことを思い出しました。
【生き残ったユダヤ人が書いた「夜と霧」】
その中の一冊。
「夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録」(V.Eフランクル著 霜山徳爾訳 みすず書房)
学生時代に友人からこの本を借りて読みました。V.E.フランクルというドイツ系ユダヤ人の心理学者が書いた本です。
フランクルはナチスドイツに捕えられアウシュビッツの収容所に囚われ、そして奇跡的に生き残ったユダヤ人です。収容所での人間心理を冷徹な精神科医、心理学者の目でこの本に記録しました。
この本で再確認できるのは、ユダヤ人も全てが善人ではないこと、ドイツ人も全てが悪人ではないこと、さらに一人の人間の中にも善と悪が常に共存しているということです。
例えば、「親衛隊員すらよりも遥かに多く普通の囚人を殴打した」のは「カポー」と呼ばれる、囚人の中から選ばれた囚人を取り締まるユダヤ人だったという記述があります。
【映画「杉原千畝」】
次に映画「杉原千畝」です。この映画ではドイツ人がかなり残虐に描かれていました。まるでドイツ人全員が悪者であるように思えるほどです。この映画「杉原千畝」の監督の父親はユダヤ系米国人ですが、何かそういう想いが反映されているのでしょうか。
しかし、現実は映画ほど単純ではないということが、「夜と霧」の中では冷静に描かれています。「夜と霧」の方が人間洞察が深いと思えますが、映画はエンターテイメント性が求められるので仕方がないかもしれません。
残念ながら、ユダヤ人難民が敦賀に上陸するシーンは映画にはありません。いいシーンになったと思うのですが・・・。
「命のビザ」を持って「人道の港 敦賀」に上陸したポーランド系ユダヤ人ですが、実際には収容所で命を落としたポーランド系ユダヤ人の方が圧倒的に多かったでしょう。だから、敦賀上陸でハッピーエンドとなるような単純な杉原千畝のサクセス・ストーリーとして描くのは気が引けたのかもしれません。
【「アドルフに告ぐ」、「流氓ユダヤ」】
次は漫画「アドルフに告ぐ」です。これは社会人になってから読んだのかな。以下、若干ストーリーにも触れますのでこれから「アドルフに告ぐ」を読みたい人はご注意を。
手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」では、ドイツのユダヤ人迫害が描かれています。登場人物のひとり、ユダヤ人の娘エリザはドイツを逃れ、スイスを経由し、その後どういうルートか分かりませんが、日本にたどり着き神戸に船で上陸します。漫画の中ではどうやら敦賀上陸ではなかったようです。
実は手塚治虫は12歳の頃に神戸でユダヤ人難民を見ています。手塚の父親が写真家グループに所属していて、そのグループが神戸のユダヤ人難民を取材、撮影しました。父親に同行して手塚治虫は神戸のユダヤ人難民を直接見たのです。その時の写真は、「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズとして発表されました。この写真の一部はインターネットにもありますので、手塚治虫が感じたものを私たちも追体験することができます。
そして、この時撮影されているユダヤ人たちは杉原千畝のビザを持って敦賀を経由して神戸に滞在していたのではないかという話もあります。
実際に写真を見てみると、「アドルフに告ぐ」で描写される神戸のユダヤ人の雰囲気が、写真から受ける印象と驚くほど似ています。特に「窓」(撮影安井仲治)と呼ばれる作品は何とも言えない陰翳があり、神戸に着いても決して喜びで満たされていたわけではないことを想像させます。きっと手塚治虫もこの原体験をもとに「アドルフに告ぐ」を描いたということで間違いないでしょう。
残念ながら(?)、ユダヤ人が敦賀に上陸する場面は「アドルフに告ぐ」にも出てきません。でもなぜか敦賀駅も敦賀警察署も登場します。主人公が福井県若狭に人を探しに来て事件を起こし、敦賀警察署で取り調べを受けるのです。結局、嫌疑不十分で主人公は釈放されます。そして主人公が大阪に帰る場面で敦賀駅が舞台となります。作品的には「なんでこの敦賀駅のシーンが要るんだろう?」と意図がよく分からない場面ではありますが、偶然にせよ不思議なつながりだとも思います。同じ駅をユダヤ人も通過しているのですから。
「アドルフに告ぐ」に登場する日本人は、単純に善良な人もいれば、どうしようもない悪人もいます。ですが、ほとんどはその間を行ったり来たりする日本人です。
この長い物語の結末はハッピーエンドではありません。(ネタバレですいません)
【「ゴルゴ13 河豚の季節」】
そして次はさいとうたかをの劇画「ゴルゴ13」から「河豚の季節(とき)」です。この本になるといつ読んだのか覚えていない。
さて、この話で登場するユダヤ人はナチスの迫害から逃れポーランドから国境を越えリトアニアのコブノ(別名カウナス)へ向かいます。
ユダヤ人の老師(ユダヤ教の偉い老先生)は「オランダ領キュラソーに入るには査証はいらんそうだ・・・そう記入した査証があれば日本の通過査証がもらえるそうだ・・・」と語ります。
また別のユダヤ人は「わたしたちの不安をよそにコブノの日本領事はあっさりと日本の通過査証を発行してくれた・・・こうしてわたしたちは、日本を目指しシベリア鉄道でウラジオへ向かった」、「ウラジオストックから日本の船で敦賀に向かった」と回想しています。
もちろん、この「コブノの日本領事」が杉原千畝です(「ゴルゴ13」には出てきませんが)。近年、「杉原千畝」が再評価されたことで、「あっさりと日本の通貨査証を発行してくれた」のではないことが分かったわけです。この「河豚の季節」が発表されたのは1982年ですから、杉原千畝のエピソードは世に知られていないころでした。
このゴルゴ13の「河豚の季節」もハッピーエンドではありません。これもネタバレですが許してください。まあゴルゴ13だからハッピーエンドなわけがないし。
そして、この「ゴルゴ13」でも敦賀上陸のシーンはないんですよねー。流氷の中を船が行くシーンまではあるのに。
【歴史から何を学ぶか~「人道の港」で何を伝えるか】
敦賀港は杉原千畝のビザでユダヤ難民が上陸した地であり、敦賀市ではその事実を「やさしい日本人が居た場所」、「敦賀がオンリーワン」としてPRしています。リンゴ型タオルを作って、伊勢志摩サミットで配布したニュースは記憶に新しいところです。
ドイツやポーランドから始まって敦賀を通過点として世界に広がるこの一連のストーリーをどう受け止めるか。その受け止め方によって自分の思いをどう発信するかは、ご紹介した本やマンガで見たように作者や漫画家、写真家によってそれぞれです。
ところで、私はアメリカ人にあからさまに「日本は戦争のとき中国で何をしたか知っているよね」と言われたことがあります。
また、私はどんな国の人とも仲良くできたと思っていますが、まれに中国人の中には心の壁を感じる人もいました。ちょうど天安門事件の後の反日教育を受けた世代の人でしょうか。
そういう人たちに「いや、日本には杉原千畝っていう人がいて、それから僕の故郷にはやさしい日本人がいて、こういうエピソードがあるんだよ」と言って「人道の港」を説明したら、あのアメリカ人やあの中国人は納得してくれるのかなあ、と思いながら、息子から読まされた(!)伝記を読み終わりました。
「人道の港 敦賀ムゼウム」は、極限状態では悪いほうに極端に振れてしまう人間もいれば、ごく少数かもしれないですが極限状態でも尊厳を保ち、勇気を示すことができる人間が居るということ、そして大概の人間はその間をふらふら迷っているものだ、ということを学ぶ施設であってほしい、と私は思っています。
そういう意味で、私は「敦賀ムゼウム」を観光施設だとはあまり思っていないのですが、あえて言うならば「エデュケーショナル・ツーリズム(教育旅行とか教育観光)」の場として市外、県外からも多くの人が、特に児童、生徒、学生が遠足とか校外学習で来て、学べる場になればいい、と考えています。だから来館者に紹介ビデオなどを見せられるセミナー室みたいなものがあるといいな、と思っています。
最後にもう一冊だけ本を紹介します。
「ホロコーストと外交官 ユダヤ人を救った命のパスポート」 (M.バルディール著 松宮克昌訳 人文書院)
本国政府の反対にも関わらず、ビザを発行するなどしてユダヤ人をホロコーストから救った外交官は杉原千畝だけではありません。この本では困難な選択を迫られ、そして勇気を示した外交官が紹介されています。中には決断するまで、大汗をかきながら三日間ベッドの上でのたうち回ったポルトガル総領事の話もあります。
どの国でも、本国政府と勇気ある外交官の関係は、日本政府と杉原千畝の関係と同じ経過をたどっています。キャリアを棒に振り、冷遇されてしまうのです。しかし、彼らは自分の行く末を予想しながらも、自分の良心を優先する数少ない外交官でした。
この本の序文には、
「この本が若い外交官の必読書になり、・・・『私だったらどのような行動をとっただろうか』と自問できるようになることを願っている」
とあります。
外交官でない私たちも、「私だったらどのような行動をとっただろうか」と自問できる場として、「人道の港 敦賀ムゼウム」が存在するならば、泉下の杉原千畝も喜ぶのではないでしょうか。
それにしても、本の紹介四冊のうち、マンガ二冊!
お許しを!!
では。
(平成29年2月6日に読みにくい文章を加筆修正しました。)
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