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自己紹介 その2

自己紹介その2です。

 アメリカではカリフォルニア大学バークレー校化学科の研究室に客員研究員として1998年9月から2000年8月まで2年間在籍しました。日本にいるうちに研究対象も研究室も全て自分で選び、研究室の先生と自分で交渉し、決定しました。私はナノマテリアル材料を研究対象に選びました。ナノマテリアル材料は2001年にクリントン大統領が、ナノテクノロジーを国家的戦略の中で研究目標に位置づけ、一躍脚光を浴びるようになりましたが、1998年といえばナノテクノロジーの黎明期で目の付け所は良かったと思います。

 渡米してから、第一関門はまず生活の立ち上げ。住む部屋探しから契約、電気、水道、電話の契約、家具や電気製品、車の購入などなど。

 ここで、多少自信のあった英語が思ったよりも通用しないことに気が付かされます。

 例えば、、、昼休みに大混雑して長い行列ができている郵便局の窓口。やっと回ってきた私の番で、局員の言っていることが理解できず、何回も訊きなおしたら「窓口の横に行け」という手振り。「個別対応してくれるのかな」と思ったら、局員は「次の方!」と言ったかと思うと私のことは全く無視。結局順番を飛ばされたのでした。ちゃんと聞き取れない私が悪いのですが、本当に屈辱的な、でも懐かしい思い出です。散髪の時の髪型の説明や、サンドイッチのオーダーの仕方も難しかった。でも、こういうことがあったからこそ、少しですが英語の習得にも一層熱が入ることになりました。

 渡米後1年程経った頃。4か月ほど研究室を離れていたアメリカ人の同僚と久しぶりに話をしていたら、会話開始後10分ほど経って、急に同僚が「あれっ!?」という表情になって、「Kojiは英語が上手くなったんじゃない?」と言ってくれました。その時の嬉しさは忘れることができません。ひとつ階段を上がった瞬間でした。

 こういう経験もあり、滞米時、それから帰国後も実際に仕事で英語を使っていた私は、学校の英語教育にも意見を持っています。いずれまた、このブログに意見を書いてみようと思います。

 さて、アメリカ生活で得られた最も大事なことは何だったのか?それは英語力ではありません。私にとって一番価値のある得られたものは、「気迫」とか「根性」みたいな精神的なものです。不思議に思われるかもしれませんが、アメリカの仕事場で友達がたくさんできる人と、孤立してしまう人の差はそういう精神的な部分の影響だと、私は思います。

(つづく)

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